被災地域にかかわるアーティストのネットワークをつくっていく

被災地域にかかわるアーティストのネットワークをつくっていく

集まって打ち合わせをする場所に小高を選んだ

今回お試しハウスをご利用いただいた鈴木さんはじめ5名の方は、被災3地域の団体が集まってできたチーム「ノーザンファーストアクションプロジェクト」のメンバーで集まって来訪していただきました。定期的に3団体で集まって打ち合わせや情報共有をしているそうで、今回は南相馬の小高をその場所として選んで頂きました。

《3団体について》
・仙台 ARCT http://arct.jp/about.html
・大阪 DIVE http://www.ocpa-dive.com/
・熊本 SARCK https://www.facebook.com/SASHIYORI.Art/

福島の今を知ってもらいたいと思って、来てみてもらおうと

仙台を拠点とする野々下さんは演劇の制作会社をされており、その関係で柳美里さんともお知り合いだそう。もともと仙台での打ち合わせを考えていたのですが、福島の現状を耳にする中で、他のメンバーにも福島の今を知ってもらいたい、小高の街をもっと知りたいとの思いから、今回の開催となったそうです。

アーティストネットワークをつくりながら情報をアーカイブしていく

被災をきっかけに出来た3つの団体。それぞれが個別に活動していく中で「地震とか災害が起きたときに動けるアーティストチームをつくっていけないか」との想いから、チームの結成に至りました。

主な活動は、災害が起きたときに動く気持ちのあるアーティスト同士のネットワーク構築と、災害時の状況をアーカイブしていくこと。

今はまだ、メンバー同士でお互いの話を聞き合うと、知見が共有されていると感じる部分と、似ているけどうまくつながっていないと感じる部分がでてくるのだそう。

例えば。阪神淡路大震災のときのこと「当時はアーティストが混乱していた。1月に震災があって、2月にフラワーテントというものがたった。そこでは毎日ライブをやっていた。Aさんが掛け合い、ライブが実現できた。」ということがあったそうです。

しかし、この話からわかることは、Aさんが何かしらのアクションをしたことで、アーティストがライブをすることができた、ということだけでしょう。実際にはどのような環境で、Aさんがどのように動き、どのくらいのアーティストが集まったのか、なぜライブを毎日開催することが可能だったのか、など、具体的な状況・仕組みまでは分かり得ません。

逆に言うと、その時の状況を把握し、記録すること、知見として世の中に共有していくことができれば、同じような状況を作り出すことができる、とメンバーのみなさんは考えています。

そのため、震災が起きたときに活躍した人、憩いの場所になった場づくりはどのようにして生まれてきたのかというのを、アーティストのネットワークを中心に聞き取りながら、徐々にアーカイブしていこうという思いで活動されています。

小高は3年前まで立ち入り禁止だったというのは、きかないとわからない

今回はお試しハウスにチェックイン後、オムスビで小高の地域を案内させてもらいました。初めて来られた方に見て回った印象を伺ったところ

「実際に来るとポジティブな印象で、勢いを感じる。街並みが新しくなっている、というのは強い印象。来る前は野馬追のイメージが強く、古風な街というような印象があったが、実際きてみると街の方々がすごくウェルカムな感じで、すれ違っても挨拶してくれる。また、歩けば端から端までいけちゃう、みたいな街の経験がないので、今回案内してもらったことで、もう知ってる街、なじみがある街みたいな印象になった」という感想をいただきました。

筆者個人としてもその空気を感じているし、その一旦を担えているかな、という気持ちもあるので最近こういう感想がきけるようになったのはとてもうれしいです。一方で、まだまだ地域でやっていきたいことはたくさんある中で、お試しハウスのPRなど、どのようにすればもっと魅力的なパッケージをつくれるのかなぁと悩んでいたので、その疑問をぶつけてみました。

泊まることによって思いのある人たちと交流できる、というのはそれだけで大きい

「お試しハウスは快適すぎるくらい。人をだめにするソファとかもあるし、とても使いやすい。」

「柳美里さんと企業のアートプロジェクトが進んでいたりすることもあるので、そういうのタイミングで企業さんに宿泊してもらって、一緒に何か活動をやる、みたいなことができるとよいのではないか」

山形県出身の鈴木さんからは「この間山形に戻ったときに友達と街を歩いたが、山形も見直してみると意外と素敵なお店がたくさんあった。今回もこうやってご縁ができて、若い人でもっとこうしたい、と思っている人とつながれる、それが泊まることによってできる、というのはそれだけで大きいと思う」とのご意見を頂けました。

「本当に形になっていないような情報を、地域の人に案内してもらえるからわかる生々しい情報もある。そういう意味でも街を案内してもらえたのはとてもありがたかった。 ピンポイントでここでこういうことをしている、こういうことをしているというようなのが、少しずつできていって線になっていくようなイメージがある。 それをコーディネートするために、住んでいるコーディネーターは必要」という声もいただきました。

私たちがつながる、ということにも価値がある

筆者(森山)は、コーディネーターという役割の中で「地域の人と来てくれた人をどう結びつけるか」ということを考えてきました。今回の話を聞いていく中で、「コーディネーターとしての役割を果たしていく中で、ネットワークの中心にいる自分たち自身にも価値がある」と改めて気づかされました。

インタビュー後オムスビにて。またの来訪お待ちしています。

0 コメント

コメントする